ボクシングデーにジョーカーの脚本で自分を殴ろう!オンライン公開中

ボクシングデーにジョーカーの脚本で自分を殴ろう!オンライン公開中

映画の脚本を読むのと、実際に映画を映画的な美しさの全てを観るのとは全く違います。しかし、『ジョーカー』のような映画の台詞や演出が、白黒で全てページに綴られているのを見ると、映画製作者たちが根本的に何に取り組んでいたのか、そして最終的な作品で何を達成しようとしていたのかを、明確かつ興味深い視点で理解することができます。

授賞シーズンが目前に迫る中、多くのスタジオが、受賞を期待する映画の脚本全文を公開し始めています。ワーナー・ブラザースはつい先日、Deadlineに『ジョーカー』の脚本を公開しました。すでに映画を観たことがある人でも、あの『タクシードライバー』や『キング・オブ・コメディ』といった往年の名作を彷彿とさせる印象的な撮影技術によって、登場人物たちが互いに実際に何を語り、何をしているのかが読み取れないという点に、きっと驚かされるでしょう。

ホアキン・フェニックス、ザジー・ビーツ、ロバート・デ・ニーロといった俳優たちの演技と切り離されたジョーカーの多くのシーンにおけるセリフは、実に物足りない。こうした映画は、俳優たちがそれぞれのキャラクターを完璧に演じきるエネルギーを注ぎ込めるように書かれているはずなので、これはある程度予想できたことだ。しかしそれ以上に、脚本は、傷ついた男がゴッサムで最も悪名高いスーパーヴィランへと変貌していく過程を繊細に描くために書かれたのではなく、銃による暴力を無批判に美化し、精神疾患について何を訴えたいのかが曖昧な物語のように感じられる。

https://[削除されたリンク]/a-joker-sequel-is-happening-and-now-more-dc-origin-stor-1839958076

画像: 締め切り
アーサーがソフィーをストーキングしていたことを認めるシーン。ソフィーは警戒するどころか、アーサーの不健全な行動に興味をそそられる。画像:Deadline(ワーナー・ブラザース)

繰り返しになりますが、脚本は映画を観た後、脚本上のシーンと映画上のシーンを照らし合わせたときに最も理解しやすくなります。しかし、『ジョーカー』を観た後、最初に脚本に書かれたシーンを改めて検証してみると、結局のところ、この映画がそれほど素晴らしいものではなかったことに気づかずにはいられなくなります。


さらに詳しい情報を知りたい場合は、Instagram @io9dotcom をフォローしてください。

Tagged: