マティー・ドー監督の『ロング・ウォーク』は、一見すると画期的な映画と言えるでしょう。ラオス映画として初めてアメリカで劇場公開され、同国初(そしておそらく唯一の)女性映画監督によって制作された本作は、ラオスでジャンル映画を制作する唯一の監督でもあります。しかし、たとえそのことを知らなくても、『ロング・ウォーク』は真に傑出した作品です。不気味で詩的で、まさに唯一無二の作品です。
クリストファー・ラーセン脚本の『ロング・ウォーク』は、名前も明かされない老人(ヤンナウーティ・チャンタルンシー。彼の控えめな演技が映画を支えている)が村周辺のジャングルで金属くずをあさり、わずかな生計を立てているという物語を描いている。冒頭から、この田舎の風景が私たちが想像するようなものではないことがはっきりと伝わってくる。例えば、誰もが腕にスマートフォンのように機能するマイクロチップを埋め込んでいる。しかし、老人のモデルは古びている。「古代の技術だ、古代の人間だ」と店主は呟き、渋々ながら古い電線やバイクの部品を買っていく。
この単純ではない物語には、もう一つの重要なポイントが隠されている。それは、この老人が幽霊が見えるという事実だ。地元の女性が行方不明になった件で警官が老人を尋問すると、私たちは彼を容疑者だと考えたが、警官の一人が本題に入る。噂によると、老人は幽霊と話せるそうで、彼女に何が起こったのかを解明するのに彼の助けが必要だというのだ。老人は拒否するが、幽霊の話は本当だった。『ロング・ウォーク』はプロットの詳細をじっくりと緻密に展開していくが、彼の前に頻繁に現れる寡黙な若い女性(ヌートナファ・ソイダラ)が幽霊であることがすぐにわかる。少年時代(ポル・シラツァ)は、道端で瀕死の彼女が「お願いだから私を一人にしないで」と息を切らして叫んでいるのを見つけた。彼は彼女を一人にせず、彼女は亡くなった後も、彼のそばに留まった。

『ロング・ウォーク』の3つ目の大きな要素はタイムトラベルだ。お決まりの回想シーンでは、少年が母親(チャンタモーン・イノウドメ)と父親(ヴィタヤ・ソムバット)と共に、いわゆる「老人の家」に住んでいる様子が描かれる。彼らは農民で、アメリカ企業が急襲して援助を申し出る世界で、必死に生き延びようと奮闘している。しかし、援助はトラクターではなく、ソーラーパネルだった。(マイクロチップや頭上を轟音を立てて飛ぶ超音速ジェット機に加え、この映画には何よりも押し付けがましいテクノロジーが散りばめられている。)しかしある日、幽霊の少女との接触を通してらしいのだが、その理由は明確に説明されることはなく、説明する必要もない。老人は過去にタイムスリップし、若い頃の自分と交流できることに気づく。間もなく彼は、この新たに発見した能力を、病に苦しみ、苦痛に満ちた死を迎えた母親を助けるために使うことを決意する。過去を弄ぶのは危険な行為だ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(あるいはタイムトラベル映画全般)を見た人なら誰でも知っている通りだ。そして『ロング・ウォーク』におけるその描写は特に不穏だ。老人が愛する母の救世主を演じようとすればするほど、彼の現実は自ら作り出した極めて陰惨な悪夢へと変貌していく。
『ロング・ウォーク』の陰惨なパズルのピースが組み合わさるにつれ、物語がいかに綿密に構成され、綿密に計算されたディテールに満ちているかが明らかになる。例えば、男の家のガラス窓付きキャビネットが改変された過去の中でひび割れ、彼のますます分裂していく現在を象徴するようになるなど。また、物語の中心にある複雑な感情的テーマにも静かに切り込み、歪んだ旅路を彩る。埋葬や死の儀式の重要性は、残された弔問者だけでなく、死者自身にとっても重要だ。そしておそらく最も心を打つのは、道徳的な羅針盤が闇へと向かおうとする人間にとって、孤独と後悔がもたらす深い代償を描いている点だ。印象的で、心に深く刻まれる作品だ。マティー・ドー監督作品としてはおそらくこれが初めてアメリカで公開されるだろうが、今後さらに多くの作品が公開されることを期待したい。

『ザ・ロング・ウォーク』は現在劇場で公開中、またデジタルオンデマンドでも視聴可能です。
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